▲index(main) *index(journal)

journal

ジャーナル2001#2
  • 愛着をこえるということ(10/7/01)
  • 戦争、友人の死(9/29/01)
  • 秋の夜(9/22/01)
  • 夏の終わりに(9/16/01)
  • ジャーナル2000-2001
    ジャーナル2001
    愛着をこえるということ(10/7/01)

    愛着をこえるということを学ぼうと思う。
    昨晩、ヒーリングサークルに参加して、そのシッポの先を垣間見た。

    私たちは、次の瞬間、明日もし愛する人を失ったらどおしよう、裏切られたらどうしよう、仕事が家が食べるものがなくなったらどうしようと、恐れる。そおしたら生きてゆけないと・・・・
    だから本当に自分のしたいことがあっても、我慢しておこうとか、いいたいことを言うのを止めようとする。 でも、この地に生きるとは、もともと恐れのために生きるのではない。

    自分の目的をもって生まれてきたのだ。そこを歩むには、みなが拍手してくれないときもあるだろうし、独りポッチになることもあるだろう。でも、その道を歩むならば、この地は必ず糧を与えてくださるだろう。たとえそれが路傍に倒れ死すことになろうとも、この地上の私をとりまく全ての環境を信じること。生かされることに、身をまかせること。この大きなプールのなかで、手を放して思いきって浮いてみること。
    ただ、日々の繰り返す日常を手放す練習をしなければならない。

    今日美味しいものを味わったとて、明日もそれが与えられるとは限らない。人間であるこの肉体を維持するための愛着を、手放すことを学ぼうと思う。すこしずつ、すべて諦めると生きてゆけなくなるが、空がみちびく軽やかな光にむかって、愛着を解き放ち、いつも清らかな天と地を繋ぐ柱となろう。

    戦争、友人の死(9/29/01)

    戦争が始まろうとしている。そして先日27日に友人が亡くなった。

    私はこれらの出来事を、ただ祈るだけ泣くだけでは終わらせたくない。だから、素直に祈ることができないし、泣くことができない。私にできるもっと現実的なことをしなければ、ならないと思う。

    想像してみて欲しい、もしこの世界から戦争という悲惨な殺しあいがいっさいなくなるという現実を・・・・・。その時、私たちはなにか、日常にものたりなさを感じるのではないのだろうかと・・・・。戦争は、私たち平和を愛すると口にする小さな市民全員、この地球上のだれ1人として例外のない私達が、この今起こっている現実の戦争をつくりだしているのだ。それは日々小さな、日常のできごとから始まるのだ。

    あなたのまわりに、個人的に喧嘩している人はいませんか?どうみても相手が、先に殴ってきたのだ、だから正当にやり返してなにが悪いと・・・アメリカはいう。この状態を自分に、あてはめてみて欲しいのだ。自分にそんなことが起こったとして、どおいう行動を選択するかと。あの人が私にイジワルをしたのだから、私があの人に同じことをやりかえすのは、当然のこと。守らなければ、やられる。ect・・・ect・・・

    今求められているのは、理屈とかやられたからやりかえすとか、自己防衛とかではなくて、目の前の相手をしっかりと見て、心を開くことなのだ。それはホントに突き詰めたら、想像以上に恐怖なことだ。だって相手に殺されるかもしれない、リスクをおかすのだから。そのうえ、いままで閉じていたパンドラの箱が開いて、見ないようにしてきた自分自身の魑魅魍魎がでてきちゃう・・・・。私は密かに、それをちゃんと知っているから、事件の責任をすべて相手になすりつけたいのだ。

    私は戦争に反対するために、ささやかな寄付を再開しようと思っている。それと同時にこの機会にまた自分の闇を、正直に見つめてみようと思う。自分の周りの小さな戦争を、どれだけ自分が解きほぐすことができるのか。想像するだけでも勇気がいることだが、これは私が自分自身とする小さい聖戦だと思う。ホントの敵は、自分のなかの闇だ。敵と見える相手は、鏡に映った自分の姿。

    そして友人へ、個人的に言えなかったことが沢山あって、何をどう処理してよいのか正直いって混乱してしまう。私があなたに手向けられる花は、やはり自分のなかの闇を、適切に日のもとに明らかにさせることでしょう。泣きたいのに仕事があったり、葬式でさえ何を着て行こうかとか香典の袋書かなくちゃとか、考えなくてはいけないような、この日常という暮らし。パールはそこにあると、わかっているのに、日々の雑事に忙殺されるのをいいことに、あなたに話せないことがいっぱいありました。どうやって、あなたの死に決着をつけていいのか、ホントわからない。

    こころざしなかばにして、死ぬということ。いくらニューエイジ流にはハイヤーセルフが決めたのだからとかいってみても、納得できないんだよね。正直いって、神さまは何を御考えなのかと思う。

    秋の夜(9/22/01)

    楽しみをひとつ見つけた。私の部屋からは夜の空がよく見える。ちょうど西の方角に、ひときわ輝く美しい星を発見した。インターネットで検索したら、こと座のベガ(織り姫)とわかった。夜の空をネットの星図とくらべながら、星の形をスケッチして星座の形を確認する。その間に、流れ星がひとつ流れた。

    このところの息づまるような毎日でさえ、こころを開いて空を見上げることさえできれば、季節は星の輝きと秋の香りで私に語りかける。星の美しさに、自分が誰だったかをはっきりと思いだした。私はこの苦しい季節を、当分のあいだベガに、導かれて行こうと決めた。星のしめす方向に私の求める道があると確信する。

    横になって、ふと見上げる空に輝く星。
    あの星は、なんという名前だろう。
    ああ、私はあの星の輝きをハートにともそう。
    私は、この地上に人として生きる喜びを、友とわかちあうために生まれてきたのだ。
    肉体という限界のなかに、閉じ込められながらも
    私は、こころのなかに、あの星をさがしてこの困難な道を歩こう。
    息災であと残りの人生を、喜びとともに生きると決めよう。
    人々としあわせを分かち合い、手に手を取り合って生きようと決めよう。

    夏の終わりに(9/16/01)

    夏の終わりを迎えて振り返ると、この夏はあまりにもいわゆる”不条理・・・なんでなの”という事件が多すぎて、正直疲れた。重苦しく、深い感情を揺さぶられることばかり、とても日々の日常と一緒に消化するには、深すぎた。私は、この夏ズット自分のなかにこの世界の不条理に怒りを感じていた。かといって、それはどこへももって行き場のないエネルギー、それと同時にいわゆる”恩寵”というものも確かに知っていて、その間で潰れそうになりながら、踏ん張っていたのだと思う。

    この間のアメリカのテロ事件で、フツフツとくすぶっていたものが、目の前に突然現実で現れたようで、正直びっくりした。あの事件は、過去にチャージしたエネルギーが、たまたまあの時ニューヨークという場所で、破裂したような事件だったのだろうが、その後私のなかでは、ますます深くこの夏の自問自答が繰り返された。「この悲惨さの意味は?私には、何ができるか?私は、何がしたいか?」

    私の天秤座の月は、こおゆうにっちもさっちも行かない深さが嫌いだ。できることなら、季節は厳しい冬や夏がなければいいと思っている。できうるならば、世界の美しく軽やかなところだけを見て暮らしたいと、切に願っているようなところがある。この気質が、どうやら妙な感情の隔離感の原因だったらしく、「美味しいこと楽しいことだけしたいのに、なんで何かが、足りないの?」という状態だった。

    辛いことを感じたくないが為、密かに逃げ回っていた月も、さすがにこないだのテロ騒ぎを無視することは、できなかった。実際性根をすえて、悲惨さを見てみれば耐えられないこともないかな・・・とは思ったけれど、涙がとまらなくなりそうになる。泣きながらも、外では朝のスズメたちの鳴き声や風のにおいは秋になっている。悲惨さと恩寵が同時に存在し、私はその真ん中で泣いている。

    この時期、私の所属するスピリチャルなコミュニティでは、祈りの呼び掛けが行われている。しかし、いまいち私は、この呼び掛けに100%乗れないのだ。なぜなら、祈りはたしかに有効で、有益なものには違いないが、スピリチャルなコミュニティでシバシバ見かける、お祈りしかしない、現実の世界では、全く行動しない人々にはなりたくないと思ってしまったから。祈りは、現実の世界でできること全てをやって、その上にどうしようもない現実を、祈るというのが正しいと私は信じている。 祈りさえすればすべては叶うというのは、ウソだ。これはのどもと過ぎれば、全てを忘れたがる極楽トンボの自分にたいする、非常にけんのんな自己嫌悪でもある。

    祈りは意図であり、すべての行動の動機である。祈りは貴重な種ではあるが、所詮最初の小さな卵にすぎない。問題はそれからで、この種をどのように、水をやり日に当て肥料をやり育てるかが、この現実の世界では重要なのだ。みんな、祈ってそのあとは終わりというのが、多すぎやしないかと思う。世界はもうスピリチャルなだけの精神論だけでは、どうにもならないのだ。

    世界は日々日常の生活、なんでもないような普通の暮らしの積み重ねだ。だから、私はより現実に効果 的な自分とは、どうすればいいか何をすればいいかということに興味がある。そして同時に日常のなかに、高さと深さを意識的に表現したいのだ。いつも、きちんと目を開けてより現実の重い世界で生きようと、この夏の終わりに決意を新たにしたのでした。