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(updated: '10/04/06)

 

 

新しい時代、至福の時代はこんな時代です。

私は、自分自身の人生について責任を自覚していますから、
自分の問題で他人を非難することはありません。

私は、熟慮の末、学び成長することを決意します。

私は、自分たちにとっては正しいと思っても、
自分たちだけがいつも正しいと思っているわけではありません。

私は、問題がおこると、それをおそらく長い一連の人生の教訓の中の
一つの教訓であると考えます。

私は、おこってくる全てのことに意味があることを認めます。
たとえ、その意味が今は理解できなくても
いつかその意味がはっきりするので将来を楽しみにします。

私は、自分が自らそうであると考えているとおりの者であり、
自分の考えを変えれば自分を変えることができると確信しています。

私は、他の人を変えることによってでなく、自分を変えることによって、
世界を変えることができると感じています。

私は、自分自身の内面をみつめることによって、宇宙の力を得ます。

私は、他の人とよい感情でよい接点をもつように
チャンネルあわせをします。

私は、まず、自分自身を愛し理解することによって他の人を理解し、
より愛することができるようになります。

私は、他の人を自分より上にも見ず、下にも見ません。
ただ、自分とは異なってはいるが、
いずれも同じ全体の一部分であると考えます。

私は、他の人と同じであることに安住しないで、
私自身の道を選ぶ権利を尊重します。

私は、既製の考えや常識に盲従しないで、
よく判断して自分独自の道を選びます。
その道は他の人の役に立つ道でもあります。

私は、私達に与えられているのは、
今このときがすべてであることに気付いています。
ですから、昨日は一つの思いでしかなく、明日も同様なのです。

私は、過去に感謝を、未来には希望をもち、
現在のみを寛大な心と勇気をもって生きます。

私は、霊的なものおよびそれに伴うものすべてを大切にします。
霊的なものへの知恵を深め、霊的な力を身に付けて行きます。

自責の念や怒り、恐れ、痛みを感じた時は、
まずそおいう自分の状態を認めます。
そして、自分を慈しみの心でつつみます。
それは、愛への旅立ちの時です。

宇宙の根源、愛の源、あるいは神と呼ばれる一つなるものを求めて、
多くの精神的指導者から学びます。

至福の時代は、人間の行動(doing)ではありません。
それは、人間の存在(being)そのものです。

私は、尊い「being」にふさわしい行動を選択してゆきます。

※ 鈴木秀子氏「至福瞑想セミナー('95/9/23)」より複写

 

1995年の9月わたしはNPO法人国際コミニオン学会の「至福瞑想セミナー」に出席しました。まったくの偶然からこのスピリチャルセミナーに参加することを決めました。当時、鈴木秀子先生は聖心女子大の教授だったことから、大学の丹沢寮を使ってのセミナーでした。丹沢寮は、清楚な十字架がかかっている小さな和室の「おみどう」と呼ばれている御堂があったり、京都から移築した100年以上前の民家があるような、日常とは違う大変贅沢な環境です。その古い民家を使って行われた「わがが名を呼びて」という三好達治の詩編を使った講議は素晴らしいものでした。このスピリチャルコミニュティでの体験は、当時の私にとっては何もかもが新鮮で強い衝撃をともなって私の身体にインプリントされたのでした。

今年2003年の暮れ引越しのため、またしても偶然にそのセミナーでもらっていたレジメが一枚出て来ました。このセミナーに参加した翌年1996年にはBBSHに入学するなど、このセミナーからわたしのスピリチャルな世界の探究は始まったとも言えます。
あれから8年たった今、その時の資料が出て来たのは偶然のようでいて、決して偶然ではないものを感じます。

今から見ると、この8年に学ぶべくして学んで来たさまざまな事柄のメニューのようなものでした。わたしのスピリチャルな世界の探究は、時にはわたし個人の人生でこれ以上昇れるところがないと思える程の高みに喜びとともに到達するときもあり、またその逆で奈落の底という時もあったり、日常の平凡さに志しが忘れさられることもあったり・・・というフローです。できうるならば、普通 の日常生活を送りながら、決して自分を偽ることなくより思慮深くこの教えを実践できる時間をたくさん持てる人生でありたいと願います。でもそう簡単にはいかないところが、それも人生と・・・日々泣き笑いを繰り返しているのが現状です。
2003年大晦日の今夜、初心に帰ってこのレジメの内容をわたしのページに記録しておこうと思います。